安養寺について
About
南無薬師 諸病平癒と 願う身は
運ぶ歩みも 安養の寺
真言宗泉涌寺派の古刹です。
重文の石造十三重塔、木造薬師如来座像などが残ります。
「栗東八景」の一つ「泉面の雪花」で、長享年間(1487年~1488年)に
室町第九代将軍足利義尚が近江守護六角高頼を討伐するために陣所を設けたとされています。
琵琶湖の形の池を中心に近江八景を模した庭園は県指定の名勝です。
安養寺について
About
安養寺は、740年(天平十二年)に聖武天皇の勅願により、平城京の鬼門守護のために創建された金勝寺の別院として、良弁僧正により開基されました。
834年(承和元年)、弘法大師により中興され真言宗に改宗、真言宗泉涌寺派の寺院となりました。
1487年(長享元年)室町幕府第九代将軍足利義尚の近江出兵の陣所となるも、兵火に見舞われ堂宇が損壊しました。
1570年(元亀元年)には、織田信長による兵火により本尊の一部を除いて焼失、灰燼に帰しました。
1718年(享保三年)、戒山慧堅の尽力により再建され現在に至ります。
安養寺山の山裾の広大な敷地には、本尊を祀る薬師堂、回廊で結ばれた観音堂、栗東八景に数えられた池水庭園がございます。また、薬師堂南側には、安養山山中の自然の苔内の中を参拝巡拝できる四国八十八ヵ所霊場が大きく広がっております。
【薬師堂】
本尊の薬師如来、脇侍の日光菩薩、月光菩薩、眷属の十二神将を祀っております。
【観音堂】
観世音菩薩を祀っております。不動明王像、弘法大師作と口伝される愛染明王像、室町時代に作られた走り大黒天像が安置されております。
【池水庭園】
江戸時代末期に造園された池泉観賞式の庭園です。琵琶湖をかたどった池の周りに近江八景を配した庭園で、栗東八景の「泉面の雪花」として登録されております。
【湖国八十八ヵ所霊場巡り】
荘厳とした手つかずの自然の中に八十八の札所がございます。蒼蒼とした苔の広がる参詣道を巡り、御札を納めてゆきます。納められた御札は、本四国八十八ヵ所巡拝の折に、住職が各札所に代納致します。
安養寺の紹介動画
Movie
安養寺の略歴
History
西暦 | 元号 | 略歴 |
---|---|---|
740年 | 天平十二年 | 聖武天皇の勅願により、金勝寺25別院の一つとして、良弁僧正が開基。 本尊が薬師如来であることから東方瑠璃山安養寺勅願を賜りました。 |
834年 | 承和元年 | 弘法大師空海が中興、真言宗に改宗。伽藍造立の本願は太政大臣藤原良房。 |
1263年 | 弘長三年 | 亀山天皇は勅願所とされ七堂伽藍をはじめ二十余の僧坊の並ぶ大伽藍を建立、弘法大師作の愛染明王を 下賜される。 |
1487年 | 長享元年 | 足利九代将軍義尚が佐々木(六角)高頼討伐のため、陣所とする。 しかし、兵火に罹り堂宇を消失。その後大永年間に復興。 |
1570年 | 元亀元年 | 織田信長の兵火のため、本尊の薬師三尊等の一部を除いて、すべて焼失する。 |
1684年 | 貞享元年 | 戒山慧堅律師、旧跡の荒廃を惜しみ、仏殿僧舎を再建建立。 |
1718年 | 享保三年 | 後西院の皇女宝鏡寺理豊宮より、後西院天皇真筆の「東方山」・「安養寺」・「放光院」の 山号・寺号・院号の三額を賜る。 |
安養寺の概要
Outline
- 寺院名
- 東方山安養寺
- 宗派
- 真言宗泉涌寺派
- 所在地
- 滋賀県栗東市安養寺88
- 創建
- 729年~749年
- 開祖
- 良弁僧正 伝
- 御本尊
- 木造薬師如来坐像
- 文化財
- 国指定重要文化財:安養寺十三重塔 木造薬師如来座像
- 文化財
- 都道府県指定名勝:安養寺庭園
- 駐車場
- 無料30台
- 電話番号
- 077-552-0082
- FAX番号
- 077-552-9151
- WEBサイト
- https://www.anyouji.org/